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【映画】『君の名前で僕を呼んで』が心情描写深すぎて最高によかった

どうも!好きなことを好きなだけやっているコスプレイヤー、綴喜明日香です。

 今回は、映画『君の名前で僕を呼んで』のレビューとして、感想や解釈を書いてみようと思います。

 

cmbyn-movie.jp

 

 

はじめに

一応レビューとして点数化してみたいと思います。

評価基準は下記とします。

  • おもしろさ
  • 難しさ
  • おすすめ度
  • 推奨環境
  • 推奨視聴人数

最初の3点は星5つで評価します。星3つの場合は★★★☆☆と記載します。

あとの2点は文字で簡単に書きます。

 

 

あらすじ

1983年。舞台は北イタリア。主人公は17歳の少年エリオ。彼の父親は大学教授で、初夏のある日、彼ら一家の元にオリヴァーというアメリカ人の学生が訪れ、夏の間共に生活することになります。

エリオとオリヴァーの交流と関係を、エリオの視点を中心に描いていきます。

 

 

評価

  • おもしろさ :★★★★★
  • 難しさ   :★★★★★
  • おすすめ度 :★★★☆☆
  • 推奨環境  :映画館(小規模)
  • 推奨視聴人数:1〜3人

私の中では、人生において出会ってよかった映画の一本と言ってもいいくらいの素晴らしい作品でした。

 

全体の感想

「面白い」という一言では片付けてはいけない深さがあります。とにかく深みがある。可能であればもう2〜3回は見たい。

まるで小説を読んでいるように、沈黙のシーンや、ピアノのみのシンプルなBGM、環境描写での心情の表現が心に染みます。

観れば観るほど解釈、心情に変化があるような、本でいえば「行間を読む」ような映画です。

初見では心に頭が追いつかない。もっともっとワンシーンワンシーンに意味があるはずなのに、それを分析しきれず、感じきれず、思わずもどかしくなるような気分です。

この感覚を多くの人に感じてほしいとは思うのですが、いかんせんこれは観る人を選ぶ映画であると感じました。

 

 

細かな感想と解釈(ネタバレ注意)

特別な存在

まず冒頭のエリオの心情。毎年学生を迎えているだけあって、彼ら家族の家に他人を迎え入れることには慣れているように描写されますが、その割にはエリオがオリヴァーに不快感を隠しません。皮肉ったように彼の口癖「後で」を家族に真似して見せます。この時点で、エリオの中でオリヴァーは、今まで家に訪れた学生達とは違い、『意識する存在』であったことを示唆しています。好きと嫌いは裏表であるというようによく言われますが、興味があったという点で最早オリヴァーは特別だったのでしょう。

 

オリヴァーの心情

後々にわかりますが、オリヴァーはだいぶ早くにエリオのことを意識し、バレーボールのシーンの時点で既にエリオに性的なアピールをしていたのですが、エリオはその意図に気づかず嫌がります。全編がエリオ視点で描かれているが故に、観ている側としてはオリヴァーが告白して初めて「あそこで既にそうだったのか!」と気が付くのですが、それくらいオリヴァーは心情を隠すのが上手い…。読み取るのが非常に困難でした。

さらに後にわかるのですが、オリヴァーには何度か付き合ったり別れたりしている女性が存在しており、この夏の間は別れた状態であったにしろ、セクシャルとしてはストレートな男性であったことがわかります。ストレートにもかかわらずエリオに何かを見出し、惹かれていたのです。

 

古代ギリシア・ローマ美術の趣向

オリヴァーとエリオの父は、古代ギリシア・ローマの彫刻について研究しているような描写があります。私自身昔に古代美術に関しては少し齧ったことがありますが、古代ギリシア・ローマの人々は性的な対象として美少年を描くことが多々あり、彫刻にもその傾向は大いに現れています。そういったものを研究している時点で、オリヴァーの中にもそういった美少年への憧れや性的倒錯といった感情が潜在的にあったのではないか、と私は解釈しました。

 

「君の名前で僕を読んで。僕の名前で君を呼ぶ。」

映画の中で二人は決してお互いに「愛してる」とは言いません。その代わり、愛情を伝えたい時にオリヴァーはエリオを『オリヴァー』と呼び、エリオはオリヴァーを『エリオ』と呼びます。それを友人から指摘されたとき、思わず「それな!!!!」と言ってしまいました…ヲタクの語彙力の無さよ…。

私はこれを、『お互いの中にあるお互いの存在を呼んでいる行為』として「愛してる」の表現なのだと解釈しました。オリヴァーはエリオの愛する『オリヴァー』を呼ぶことで、エリオはオリヴァーの愛する『エリオ』を呼ぶことで、お互いの愛の存在を呼びあっている…なんて尊いのでしょう…。

そう思うと、ラストシーンでエリオが電話越しに呼ぶ「エリオエリオエリオエリオ…」という悲痛な声と、オリヴァーがかすれた声で返す「オリヴァー」という呼びかけが、さらに重く心に響きます。愛してる。忘れてなんかいないよ、愛してる。愛してるんだ。

 

二人の中の四季

作品は主に夏に展開し、秋を飛ばして冬へ入ります。

学生時代フランス文学を専攻していた際、教授に教えてもらったのですが、日本人の四季の感覚と、ヨーロッパ圏の四季の感覚は異なるそうです。ヨーロッパ圏における四季とは、春が生命の誕生、夏が生そのもの、秋は死へ向かう絶望、冬は死といったような感覚があり、古くからその感覚を踏まえた詩や小説が多く作られているそうです。

その感覚を今回の作品に当てはめると、エリオにとってオリヴァーとの恋は夏の間であり、まさに生。そして、オリヴァーの結婚という最後を伝えられた冬は、まさに死。

雪の描写の長さに感嘆です。

 

BGMとエリオの心情

友人に指摘されて気が付いたのですが、エリオの心の動きとBGMは連動しており、彼の心が動くとき、必ずと言っていいほどピアノBGMが入ります。

しかし一か所だけ、ダンスのシーンはピアノBGMではありません。友人が和訳を調べてくれたのですが、サビの歌詞が「僕の想いを君は受け止めてくれるだろうか」という、エリオの心情そのもののものでした…。すばらしい演出。

 

情景描写で語る行間

二人が初めて夜を共にするシーン。二人が重なったときに、カメラは外へパンし、窓の外の木々を写します。風が吹くこともなく、揺れもしない木々。伝わるのは夏の暑さとどっしりとした確かさ。このシーンこそが、小説でいうところの行間なのだと感じました。夏の生命力。揺らぐことのない二人の愛の感情。胸に来ます。

 

父と母の存在

エリオの両親は実に人間として素晴らしい人たちでした。エリオとオリヴァーの関係を知りながらそっとしておいてくれた上、彼らを取り巻く女性陣の心をフォローまでしてくれます。エリオがオリヴァーを見送った後の心情も慮ります。なんてできた人たちなのでしょう。偏見もせず、ただ息子たちの関係を、人と人との愛情の中で起こるデリケートなものとして尊重し、年長者として優しく受け止める。愛情深くないとできないことだと思います。なかなかいないぞこんな人たち…。おそらくエリオの両親もいろいろな経験を経てそこに至っているのかと思うと、彼らも掘り下げていきたい欲求に駆られます。

 

父の言葉

おそらくこの作品の中で一番私の心に響いたのは、エリオの父の言葉でしょう。

オリヴァーを見送り、悲しみと喪失感と夢が覚めた後の罪悪感に駆られたようなエリオに、彼の父はこんなような言葉を掛けます。

「人は若いうちに自分の心をすり減らし、30にはもうすり減らし切ってしまう。自分の心を大切にしなさい。」

エリオに宛てた言葉なのに、私にかけられた言葉のように胸に響きました。おそらく私と同年代の人には響く言葉なのではないでしょうか。

 

 

滔々と思いついたことを書き連ねてきましたが、まだまだ語りつくせず、戸惑うばかりのシーンも多いです。一度ではとても足りない。

また再度観ることがあれば追記してみたいと思います。

今回はこの程度とさせていただきます。

 

ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

興味が湧きましたら、ぜひ観てみてください。

 

 

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