つい先日、『翔んで埼玉』を見てきた話を記事にしました。
作者の魔夜峰央先生は男性同士の恋愛を描くことに定評のある少女漫画家先生なんですが、巷のBL(ボーイズラブ)漫画家さん方とちょっと考え方が違うので、その点を踏まえて「同性愛」という観点からこの『翔んで埼玉』という作品を見ていこうと思います。
極々自然な男性同士のカップル
魔夜峰央先生が描かれる作品に出てくる男性同士のカップルは、決して異質に見られません。ごく自然なものとして受け入れられています。
『翔んで埼玉』では百美も麗も男性です。2人の恋について、周りは「埼玉県民と東京都民」という点で大騒ぎしますが、「男同志」と騒ぎ立てないのです。
同先生の作品、『パタリロ!』でもバンコラン青年とマライヒ少年の愛について周りはごくごく自然に受け入れていて、マライヒは子供まで授かります。最早性別の壁を越えている……。
だからといって異性愛がない訳ではなく、男女のカップルも多く見られます。
BLではなく耽美な美少年愛
以前魔夜峰央先生の娘さんが描かれたマンガの中で、魔夜峰央先生の言葉として書かれていた言葉がありました。
「美少年愛は耽美で美しいもの」
魔夜峰央先生にとって美少年愛は、BLなどという略語で表されるものではなく、耽美な素晴らしい表現なのです。
それを裏付けるかのように、先生の漫画の中ではあらゆるコマの中で薔薇をはじめとした花々が咲き乱れています。
「ほんの一瞬しか輝けない美しい少年たちの恋愛」という貴重な輝かしい瞬間をそっとすくって絵にのせる。そこに偏見なんという余計なものは一欠片も混ざらず、ただひたむきに美学を表現する。先生だからこそできる技です。
美学>禁忌
魔夜峰央先生にとって男性愛、同性愛というものは決して禁忌などではなく、ただひたすらに美しいもの。漫画家として美しいものを美しく表現せずにどうする!という美学の中にあるものなのではないかと思います。
おそらく先生の中では「同性愛は異常」などという認識は全くないと思われます。
LGBT当事者として救われること
魔夜峰央先生のように、ごくごく自然にLGBTを受け止め、描写してくれること。それがとても嬉しいです。周りからの反対や、異常者のような扱いは現実世界で十分。むしろ先生の作品のような自然さが、現実世界にも浸透しないかと祈って止みません。
いかがでしたでしょうか。
なかなかに難しいことかもしれませんが、映画を見ながら、爆笑しながら、ほんのちょっと頭の片隅にでもこのブログの内容を置いておいてほしいなーと思う私でした。
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