どうも!平成生まれの綴喜明日香です。
今日で平成最後ですね。というわけで、ものすごく個人的に平成を振り返ってみたいと思います。
お時間がある方、ぜひともお付き合い下さい。
私は平成5年6月13日に生まれました。
この年は冷夏で、「今年の赤ちゃんは夏に弱くなるわよぉ〜」なんて言われたらしいです。いやそんな事全くないんですけど。夏大好きです。
ビビりで人見知りが強い子でした。父親がディズニーランドに初めて連れていってくれた日、ピーターパンに出てくる海賊、スミーの着ぐるみが怖くてギャン泣きし、なんと滞在時間40分で帰りました。父親は「もう二度と連れていかない」と誓ったらしいです。
そんな私にも3年後、可愛い可愛い弟が生まれ、以前のマンションよりも広いマンションに引っ越しました。
弟は生まれつき耳と鼻のあいだの管が弱く、何度も何度も手術をしました。
両親はその手術のために何度も病院に一緒に行き、その度に私は母方の祖父母の家に預けられました。最初のうちは親恋しさに泣いていた私ですが、すっかり祖父母に懐き、それなりに満喫していました。今でもじじばばっ子です。
両親は共働きでした。
当時はまだバリキャリの女性はそこまで多くなく、保育園に通う私の同級生のお母さん達はシングルマザーや兄弟が多い家庭が多かったようです。
小学校に上がると主婦のママさんが増え、学童保育に預けられた上に、そのあともベビーシッターさんに預けられていた私としては、「家に帰るとお母さんがいる」家庭に憧れを持っていました。
社会人になった今となっては、私や弟が産まれてからも働き続けた母の苦労がよく分かるようになったのですが……。
母こそ昭和から平成を駆け抜けたキャリアウーマンなのではないかと思います。
女性の少ない職場で管理職になり、社内の女性陣の出世頭でした。数多くの女性社員たちの相談に乗ってきたと語ってきた母。未だに私の憧れです。
小学校3年生の頃、ゆとり教育が始まり、土曜日の授業がなくなりました。
そう、私は何を隠そうバッチリゆとり世代です。台形の面積の求め方の公式なんてやりませんでした。今ではなんとか知っていますが。
このゆとり教育、結局成功だったのか失敗だったのか……どっちなんですかね??
小学校5年生の頃、大好きな母方の祖父が肺がんで亡くなりました。
祖父はヘビースモーカーで、祖父の年代の男性たちは実に当たり前のようにタバコをスパスパ吸っていました。
祖父の死をきっかけに、私も喫煙の害について考えるようになり、同じ頃、世間も「分煙」や「禁煙」といった考えが広がっていったような気がします。
中学校に上がって吹奏楽部に入ったのですが、これが今考えると「ブラック部活」なるものでした。
朝練は朝7時から。
午後練は夕方6時頃まで。
休日は朝7時半から夕方5時まで。
お盆と正月、テスト期間しか休みはありませんでした。
顧問の先生はもちろん付きっきり。今考えると給料も出ないのによくここまで私たちに付き合ってくれたものだと思います。
ただ、この厳しさのおかげで、社会の基本的なマナーを良くも悪くも学べたのかなと思います。
年功序列、挨拶返事、時間厳守、ルール厳守、団体行動、連帯責任etc...
もちろん練習するだけの成果はあり、全国大会で金賞を頂いたことも何度か。
それはそれでいい経験だったな、と今では思います。が、今同じようにやったらやっぱり叩かれるかと……今どうなってるんだろう。
ちなみにこの頃に私の人生を狂わせた『コードギアス反逆のルルーシュ』が放送されました。
私は未だにルルーシュに恋をしています。
私が使っていたバストロンボーンには無事ルルーシュという名前がつきまして、テナーバストロンボーンにはスザクという名前がつきました。厨二病まっしぐらもいいところですね!
高校受験も今とは勝手がちょっと違いました。
一次二次といったような試験形式で、私は一次の面接と学校独自問題で合格し、希望の高校に進学しました。
高校生活は実に平和で、これといったことはありませんでした。
東日本大震災があるまでは。
あの時、私は高校二年生。ちょうどテスト期間でした。
あの揺れがあった時、たまたまうちの母親が休みだったため、2人で必死になって薄型テレビを抑えたことを覚えています。
荷物をまとめて、慌ててマンションの1階、集会所に避難しました。
そこでラジオから流れてきたのは、緊急地震速報の音と、津波の様子を伝える実況。
あの時、テレビが見れる状況じゃなくて本当に本当によかったと思います。リアルタイムで見ていたらどうなっていたことか。
私の父親と友人の両親が会社から帰れなくなってしまったため、友人兄弟もうちに迎え、1晩を過ごしました。
緊急地震速報の音がどうしても怖くて、「今日で死んでしまうんじゃないか」と震えて、母親とベットに潜り込みながら、眠れない夜を過ごしました。
父親が帰ってきた時の安心感は今でも忘れません。やはり男親はすごい。居てくれるだけでも安心感が違いました。
暫く学校が休みになり、久々に登校すると、クラスのみんなが変わらず笑顔で登校してきたのでとてもほっとしました。
ただ、クラスメイトの1人が「宮城のおじさんと連絡が取れなくて……」と担任に泣きついていた姿は未だに目に焼き付いています。
そんなこともありつつ、私たちの高校生活は過ぎていきました。
私の場合ちょっと人生の遠回りをしたので、1年間浪人し、予備校通いをしてから希望の大学へ進学しました。
ここが私の人生の分岐点。
大学受験が終わった瞬間、幼馴染達にコスプレに引きずり込まれました。
いやほんと死ぬほど楽しかったんです!普段は味わえない非日常!いつもと違う私!なんだこれは!なんなんだこれは!楽しい!!
このときの感動がいまでも私の原動力です。
大学4年間は勉強しつつ、サークルを2つかけ持ちしつつ、バイトも2つかけ持ちしつつ、ひたすらコスプレするという地味に忙しい日々を過ごしました。
この時期に衣装製作を覚え、ウィッグカットを覚え、既存キャラの併せに味をしめ、クオリティを追求する楽しさに目覚め、コスプレで仲間を増やす楽しさに溺れ……延長線上に今の私がいます。
就活の時期、振り返ればそこには、正直コスプレしかなかったんです。
それなのに無理やり志望動機をこじつけ、「やりたい……かも?」という曖昧な感情で取った内定先でメンタルをやられ退職。
今考えれば、元々コスプレを仕事にする方向で頑張れば良かったのに……としみじみ思います。
そうして、今に至ります。
今はぼちぼちコスプレメイクの仕事をしつつ、スタジオを持って起業すべく、試行錯誤する毎日です。
ここまで長々とお付き合いいただいてありがとうございます。
最後に、令和をどんな時代にしていきたいかを考えてみたいと思います。
ズバリ、「夢を叶える時代」にしていきたいです。
この「夢」とは私の夢のことももちろんなのですが、コスプレをしてみたい、コスプレを楽しみたい、クオリティを上げたいというみなさんの「夢」も含みます。
みなさんの「夢」を叶える時代。
みなさんの「夢」が叶う時代。
そんな時代を目指して、ささやかながら、活動していきたいと思います。
今後もどうぞ、綴喜明日香を、そしてサークルReMakeYouをよろしくお願い致します。
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