コスプレイヤーの好きなことを好きなだけ

いちコスプレイヤーの頭の中

10年前の話

どうも!好きなことを好きなだけやっているコスプレイヤー、綴喜明日香です!

 

「もうあちこちのメディアで見たよ……」

なんて思われそうですが、私なりにやっぱり今日の日付に思うことがありまして。

 

忘れないようにここに当時の記憶を書き残しておきます。

当時のことを思い返すのが辛い方は、そっとページを閉じてください。

 

 

当時の私

当時私は高校2年生。

学年末テストの3日目あたりだったと思います。

テストは午後早めに終わり、友達とつかの間の休みを喜んでいました。

金曜日だったので、月曜のテストまでは2日半も時間がある!

「今日くらいは勉強サボってもいいよね!」なんてダメな学生ぶりを発揮していました。

 

当時はまだガラケーだったのですが、特別仲がいいクラスだったので、ちょっとした開放感と共にみんなで記念写真を撮って遊んでいました。

黒板に「3月11日」と書いてある写真が残っていました。

 

 

地震発生時の状況

その日は何故かワーカホリックな母が有給消化で家にいました。

まだ冷えるのでこたつを付けて、母はそこで爆睡。

私は隣でパソコンを開き、「今日は勉強しない日!」と決め、ニコニコ動画を見ていました。

 

突然、ゆらゆらーと揺れを感じました。

「震度3くらいかなー」とニコニコ動画に夢中になっていた私ですが、だんだん揺れが大きくなって恐怖を感じ、慌てて母を起こしました。

 

2人で咄嗟にテレビをつけ、薄型のそれが倒れないようにガシッと掴みました。

 

テレビも本棚もガタガタというよりぐわぁんと揺れ、とにかく脳内はパニック。

 

とりあえず揺れがおさまってほっと一息。

テレビではニュース速報が流れていたはずなのですが、全く記憶にありません。

 

「どうしよ、避難する??」

「避難した方がいいかなぁ??」

 

と母と顔を見合わせました。

とりあえずマンションの上階に住んでいるので、避難するなら早めに下に降りた方がいいよなぁという結論。

 

避難の準備をしようと動き始めた時、再度グラッときました。

これもまた大きくて、「もうこれが止まったらすぐ下に行くよ!」と決めつつテレビをまた支えました。

 

収まったらすぐにテレビを床におろして倒れても大丈夫なようにし、貴重品だけ集めました。

 

高校生の私の貴重品なんてたかが知れてましたが、私なりに準備したような朧気な記憶があります。

ちなみに私の部屋では飾り棚に飾っていたガンプラが落下して大破していました……悲しかった……

 

 

マンション住民の団結

下に降りると既に1階の会議室にマンションのママさんとお子さんたちが集まって、ちょっとした炊き出し状態でした。

幼稚園、小学校の子達はもう帰ってきていたので、どんなにか不安だったろう……と思いきや、非日常に大喜びというか、深刻さがわかっていないというか……元気に騒いでました。

 

私はといえば、まだ心臓が爆走していたので落ち着きなく、そわそわとしていました。

そんな中、唯一ついていたラジオがけたたましく「津波が……津波が……」と言っていたのをぼんやり覚えています。

ただその時には私も、おそらく母も、キャパオーバーでラジオから聞こえるアナウンサーの声から現在の情景が想像出来ていませんでした。

 

とにかく子供たちの遊び相手をしてあやしていると、買い出しに行っていたママさんたちが肉まんや唐揚げを持ってきてくれました。

まさに団結力。このマンションみなさん仲良くてよかった……。

私と母2人だけだったら不安でたまらなかったでしょう。

子供たちがはしゃいでいたおかげで、そしてママさんたちの差し入れや優しい言葉のおかげで、なんとか不安感が拭われました。

 

そのうち、隣の中学校に通っている弟が帰ってきました。

ちょうど卒業式の練習中で体育館に全校生徒が集まっていたところだったそうです。

みんなでパイプ椅子の下に頭を突っ込み、泣き叫ぶ子もいたとか……。怖かっただろうなぁ……。

 

弟が帰ってきたすぐあとに、近所に住む幼なじみの男の子とその弟がうちのマンションにやって来ました。

お父さんもお母さんもお兄さんも帰ってきておらず、家に入ると飼っていたたくさんの熱帯魚の水槽が全滅して散乱。

とても家に入れる状況ではなく、うちの家族を頼ってきたとの事でした。

 

一緒に親御さんを待つことにし、マンションの皆さんも彼らを暖かく迎えてくれました。

 

一度母と弟が部屋の様子を見に家まで上がって行ったのですが、私はどうにも怖くて上に上がることが出来ませんでした。

頭をよぎるのは何故か9.11の貿易センタービルのような崩れ方。

「上に上がったら死んでしまう……」と思っていました。

 

 

帰宅難民

19時頃、外が暗くなった時に、ようやっと父と連絡が取れました。

当時営業マンをしていた父は、お客さんのところで被災したらしく、公衆電話から母の携帯に家族の安否を確認すべく電話したそうです。

父は「電車が動かない。とてもじゃないが帰れないだろう」と母に伝えたとのこと。

この時点で、父抜きで夜を明かすことが確定。

その時の不安感と言ったらなかったです……。

もちろん母がいたので、大人がいる状況ではありましたが、なんとなく父の包容力というか、男親の逞しさというか、心の支えを気持ちが欲していました。

 

 

津波の映像

結局夜も遅くなって来たので、そろそろそれぞれの家へ戻ろうという流れになり、各々が解散していきました。

 

母、私、弟、幼なじみ、幼なじみの弟は、揃って部屋まで帰りました。

 

その時に初めて全員が、テレビで津波の映像を目にしたのです。

 

とても現実に起こったこととは思えず、遠い遠い世界の話のようで、恐怖を超越してただ呆然と「凄いな」と感じていました。

もう自分に降り掛かっている恐怖だけで頭がいっぱいだったんです。

 

その後、弟たち男子3人はリビングに布団を敷いて雑魚寝。

私はあまりに怖かったので、恥ずかしながら母とおなじベッドに入りました。

 

テレビをずっとつけていたのですが、延々と津波の映像が流れていました。

そして度々なる地震速報。

もうあの音がトラウマになりました。おそらく一生分聞いた。

 

もちろん寝付けるはずもなく、朝を迎えました。

朝になってようやく津波が現実だったんだと頭に叩き込めました。

 

そこからの記憶はほぼありません。

土日なのをいいことに、ずっとリビングの布団の中に転がっていました。

両親にべったりすぎて、我ながらやっぱり恥ずかしいのですが、それだけ不安だったんです。

 

ちなみに父は確か次の日に帰ってきました。

お客さんのところで暖をとらせてもらい、お弁当をいただいていたとのことです。

客先がいいところでよかった。

 

 

休校とTwitter

日曜日の夜、担任の先生からメールがありました。

 

「明日の学校は通常通りあります」

 

いやあるのかよ!!!!

とつっこみました。とんでもない。無理でしょうよ。

うちのマンションのエントランスには亀裂が入って段差ができていたし、隣の元水路だった道路にはずーーーっと一直線に亀裂が入っていました。

幼なじみの家のようにガラスまみれの家もあるだろうし、市内で死者も出ていました。

そんな中であるの???

 

とりあえず「クラスの女子に回して」と言われたので、一応一斉送信しておきました。

今ならLINEグループで一発ですが、当時はガラケー時代。メールで連絡です。

 

さて、月曜日の朝。

当時テレビやネットの情報は「津波」「地震」の2択。

最も知りたい「電車の運行情報」のような身近なニュースがなかなか手に入らなかったのです。

しかし、そんな貴重な情報が手に入る場所がありました。

 

そう、Twitter

 

当時私はmixi、モバゲー、Amebaと多くのSNSをやっていましたが、Twitterはアカウントを作って放置状態でした。

しかし、たまたま開いてみるとそこには私が求めていた最寄り駅の情報があったのです。

 

「○○駅、電車が動いてないどころかシャッター開いてないwwww」

 

そんなツイートが沢山ありました。

急いで担任に連絡。

先生たちの中でも情報が錯綜していたようで、「とりあえず綴喜さんは自宅待機してて下さい。先生が調べます」と連絡が来ました。

もちろん少しあとに休校連絡が来ました。

 

今となってはTwitter10年選手の私ですが、当時は至極真面目な理由で始めたツールだったんです。

 

 

その後の影響

結局休校自体はかなり長く続きました。

残されていた学年末テストは消滅。

内申点で成績をつけるという異例の事態になりました。

 

クラスメイトに久々に会えた時は嬉しかったです。

しかし、やはり親戚が被災地に……という子もいて、「おじさんと連絡が取れなくて……」と泣いていたクラスメイトの女の子の涙を未だに忘れられません。

 

卒業式は……どうなったんだっけ。

先輩方には申し訳ないけれど、もう覚えていません。

 

 

忘れてしまったことも多いけれど、未だにあの時の恐怖はまざまざと思い出せます。

10年という時はあっという間。

絶対に忘れちゃいけない。

 

私は大した被害にあっていませんが、あんなにもまざまざと死を感じたことはありません。

いつなにがあってもいいように、毎日を悔いなく楽しく暮らしたい……。思い返しつつ、改めて感じています。